超アートな江戸の商店街
さて、今日も『逝きし日の面影』(渡辺京二著)から。
江戸の商店について!
超アートな江戸の商店が素晴らしすぎて興奮するっていう話。
(画像:THE PORCELAIN DEALER ーflickr.com)
ものすごく多種多様だった人々の職種
江戸時代の町を訪れた欧米人は、
その町の様子の豊かさ=多種多様さ、に魅了されたらしい。
それはすなわち、暮らしの多様さ、職種の多様さである。
物売り、修繕屋、遊行する芸人、宗教者、医者、易者、砂絵描き、人力車夫・・・
そんな様々な人々が
それぞれ特有の衣装と道具を持ち、ひしめきあって暮らしていた。
それは、このとき一部のヨーロッパの都市で見られたような
「近代化により画一化された大衆」とはまったく異なっており、
訪れた欧米人にとっては「まるで舞台のようだ」というほど
見ても見飽きないものだったらしい。
そして、
この時代の職種は驚くほど細分化されていたのが面白い。
例えば、羅宇屋(ラウ屋)は、羅宇=キセルの掃除取り替えという
超限定された仕事によって生活していた。
中でも、私が興味深いと思ったのは「按摩(あんま)」である。
按摩=マッサージ師のことであるが、
これは目が見えぬ人々の職業であった。
盲目であっても、自分で稼いで家族を養っていける手段として
この職業が確立されていたということは、とても興味深い。
そして、
これだけ職種が細分化されている、ということは
非常に多様な職業の棲み分けがされていた、ということであり
下層階級の人々であっても、盲目の人であっても
生活できるという仕組みができていた、ということである。
これは、
前の記事でも触れた「みんなが楽しく過ごすための暗黙のルール」
のひとつだと思う。
資本主義・自由競争社会とはえらい違いですよね。。。
ちょっと余談ですが、
個人的に、資本主義は日本人の本質とはあわない仕組みではないか
と昔から思っていて、
今の日本人がこんなクサクサしてるのは
資本主義も大きな原因だよなーと思ってます。
超アートな江戸の商店
そして、その職業の中でも
私は、多様な店々の様子に魅了された。
下駄屋、古着屋、扇屋、掛け物を売る店、屏風屋、羽織の紐だけを売る店、
ちりめんを売る店、手ぬぐいを売る店、煙草道具の店、筆の店・・・と
その多種多様なことといったらすごい。
・・・何はともあれ写真をどうぞ!
*紹介する写真はほとんど明治時代初期のものですが、
江戸時代とかなり近いと思われます。
下駄屋
(写真:GETA, FLIP-FLOPS, and SANDALS GALORE ーflickr.com)
おもちゃ屋
(写真:TOYS "Я" US in OLD JAPAN ーflickr.com)
扇子・団扇屋
(写真:THE FAN SHOP -- More UCHIWA than SENSU in OLD JAPAN ーflickr.com)
籠や箒を売る人
(写真:BROOMS, BRUSHES, BASKETS and MORE ーflickr.com)
煙管&煙管ケース屋
(写真:PIPES AND TOBACCO CASES "Я" US in OLD JAPAN ーflickr.com)
美しい・・・!!!
ほんと、アートです。
この職人たちの芸術性はすごいと思う。
商品ひとつひとつから、陳列に至るまで、アートだ。。。
そして、この芸術性や技術の高さに欧米人は驚愕したらしい。
ヨーロッパでは、安いもの=粗悪なもの、だったのに対し、
日本では、どんなに安い物でも美しく丁寧に作られている
ということが驚きだったのである。
例えば、
手ぬぐい一つにしても
人夫や車夫が普通に使用しているものであるが、ある欧米人の目からすると
「見事な美しいデザインが描かれており、家庭用の装飾品として使える」
ものであったり、
ただ薬を売るのではなく、それを入れる袋に
美しい薬草の絵が(1つ1つ手書きで!)描かれていたり、
したらしい。
紙製品にしても、
紙によって皮に似た素材を作ったり、
上等なトランクや煙草入れ、シガーケース、鞄、筒、防水コートを作ってしまうなど
驚くほどの技術をもっていたようである。
「職業の細分化」ということは、つまり
その限定された分野に対して特殊な精通と愛着を育み、
この本の中では
商品はいわば人格化する
という表現がされている。
想像するに、人々の暮らしにおいて
「この桶は、あそこの○○さんが作った桶(で、○○さんはこだわりが強くて・・・)」
みたいに、その商品の中に作り手を見ている、ということだろう。
それは作り手と使い手が直接つながっていたということであり、
なんと心豊かな暮らしであろう、と想像できる。
あぁ、そういえば私は作家さんの作品がすごく好きで
器とかアクセサリーとか服とか音楽も、
その作った人の顔を見えるものをついつい集めてしまうのだけれど
それとちょっと似ているかもしれない。
その「物」としてだけの価値ではないものが、その中にはある、
ということ。
アートだった庶民の暮らし
そして、この商店の安い品々が芸術的だったということは、
すなわち、それを使う庶民の暮らしが芸術的だったということである。
これについては、本の中の2つの言葉を紹介する。
日本の最も貧しい家庭でさえ、醜い物は皆無だ。
お櫃からかんざしに至るまで、すべての家庭用品や個人用品は
多かれ少なかれ美しいし、うつりがよい。
ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。
ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ。
この「芸術は万人の所有物」という表現がとてもいい。
実際、浮世絵も庶民の文化として始まったものだったし、
芸術は江戸庶民にとって当たり前の身近にあるもの
だったのだろう。
恐らく、この時代において江戸時代の庶民は
「世界一のアート感覚をもった庶民」ではなかったか、と想像する。
生活が芝居化されている
本の中で「生活が芝居化されている」という表現がある。
うん、なんか分かる気がする。
上記の商店の写真にしても、なんだか
「時代劇より時代劇っぽい」と思うのだけれど。
ここまでやる・・・?
みたいな。
*注意書きとして、この筆者が言うところは、
商店の様子だけでなくシンプルで洗練された家や暮らしの様子、
整備された庭や歩道なども含んでいます。
そして。
ここにおいてまた興味深い指摘が・・・!
すなわちそれは、よき趣味という点で
生活を楽しきものとする装置を、
ふんだんに備えた文明だったのである。
でた!
「生活を楽しきものとする装置」
つまり、私が前の記事で書いた&この記事の最初のほうでも書いた
「みんなが楽しく過ごすための暗黙のルール」ということ・・・!
なんだか、江戸時代の暮らしや人々の性質というのは、
この「楽しく暮らす」というのが
かなり大きなベースとなっているのだと思う。
だって、商店の写真を見てもそうだ。
職人さんが、本当にその商品を愛して、楽しんで作って売っていた
ということが伝わってくる。
で、こんな多様なお店が並んでいたら買い物楽しいだろうな。
商品自体も、それを愛し精通している商人との会話も。
そして、日常使う道具たちが
いちいち愛情とアートにあふれていたら楽しいだろうな。
うん。
・・・「楽しく暮らす」こと!
人々は「みんなが楽しく暮らす」ように行動し、
社会的にも「みんなが楽しく暮らす」仕組みができていた、
ということ。
私が江戸の暮らしに惹かれるのは
この要素なんだろうと思う。
前に「昔に戻りたいわけじゃない」ってことを書いたけど、
でももしタイムマシーンがあったら
私は確実に江戸時代に行ってみたいと思います。。
☆クリックしていただけたら嬉しいです☆