主に江戸について

主に江戸後期の、主に庶民の暮らしを調べながら書いてます。堅苦しくなくポップ(?)に☆読んだ本のメモが中心。

こどもを超溺愛していた江戸の人たち

2015.6.5追記
タイトル変更しました。なんか違うなと思ったので。私けっこうタイトルとか内容も変更すること多いですスミマセン、ご了承ください。。

 

 




今日は、江戸時代の庶民の子育ての話。

『逝きし世の面影』(渡辺京二著)第10章より。

 

江戸時代の子育て・・・って、どんなイメージありますか?

 

私は、「なんか厳しそう!」って思ってました。

星一徹的な。(星一徹はもちろん江戸じゃないけど)

ちゃぶ台ひっくり返す的なのとか

おいたをしたから納屋に一晩閉じ込められる的なのとか。

 

 

*あ、星一徹ってもう昭和生まれにしか通じないのかな。。。

(平成生まれはググってください!)

 

 

 

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(写真:HAPPY KIDS IN THE PARK ON A DAY OFF FROM SCHOOL ー flickers.com

*これは明治時代の写真みたいですが。かわいいー!着物もオシャレ。

 

 

 

 

 

結論からいうと、全然違いましたイメージと。

なんかすごいいいです、江戸時代のHOW TO 子育て。

 

わたし独身だけど、子ども産んだら

こんな風に育てたいなってかんじでした。

 

 

 

 

  

子どもは超自由に遊んでて、大人は子どもを溺愛してた

 

 

日本を訪れた欧米人から見ると

日本は「子どもの天国」だったらしい!

 

道路でも平気で遊んでいて、ほとんど素っ裸で路上を駆け回っていたりして、

人力車や馬は子どもをよけて通っていて

子どもにとって「大人に大事にされるのは当たり前」だった。

 

「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われる国はない」

「子どもたちは朝から晩まで幸せそうだ」

と欧米人の観察者たちは述べている。

 

そして、驚くことに

大人は子どもを叱ったり罰したりすることが

ほとんどなかったんだって・・・!

 

「日本人の性格として、

子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、

手で打つことなどとてもできることではないくらいである」

と書いている人もいて、

 

日本人の子どもに対する愛情は、

そりゃもう「溺愛」「子ども崇拝」の域に達していたらしい。

 

これは驚きじゃないですか!?

叱ったり罰したりしなかったということ。

 

ちゃぶ台返しは昭和の話なのか。。。

 

 

こんなに自由に遊ばせるって、現代の価値観からすると

「放任主義では?」

「そんなんで躾大丈夫なの?」

とか思っちゃいますよね。

 

でも、うん、大丈夫だったみたい。

 

 

 

 

 

子どもには独自の世界があった

 

 

日本人が子どもを叱ったりしなかったのは、決して放任主義ではなかった。

実際、大人の最大の関心は子どもの教育だったし、

子どもは小さい頃から礼儀作法を仕込まれていた。

 

放任のように見えたのは、大人が

子どもの遊びに干渉しなかったから、らしい。

 

最大限の注意は払っているが、基本的に

子どもは子どもたちだけで遊ばせていた。

 

そして、子どもは

子ども同士で遊ぶ中で、遊びのルールを守ったり、

疑問が生じた場合は、争うのではなく年長の子どもの裁決で解決したり、

とその中で色々なことを学んでいた。

 

あと、この本の中に

「子どもの泣き声をほとんど聞いたことがない」

って話もでてきて、

 

それはつまり、叱られることがないと同時に

子どもが大人を煩わせることがなかったということだろう。

 

江戸時代の子どもは、自由奔放でありながら

独自の子どもの世界の中で人間関係を築きながら、

大人を煩わせることなく遊んでいた。

 

大人は子どもを信頼していて、その世界を尊重していた

ようです。

 

 

 

 

 

小さい頃から大人の世界に親しんでいた

 

 

そして、自由奔放であっても、

いざとなれば大人のような威厳と落ち着きのある振る舞いができる、

という子どもの姿が描かれている。

それは欧米人たちを驚かせるほどの堂々とした態度だった。

 

その態度を可能にしたのは何かというと、

普段から大人の世界に慣れ親しんでいたから、ということだ。

 

例えば祭りや、寺社詣り、花見、長旅の巡礼や

淫猥な内容の芝居にさえも、

大人は子どもを同行していくのが当たり前だった。

 

大人だけ行って子どもは家に置いていく、

みたいなことはなかったらしい。

 

そして、子どもは大人と一緒に働いたりとか、

年長の子どもは年少の子どもの子守をしたりとかも普通で、

子どもは「大人の友であり仲間」というような存在だった。

 

そんな風に、自然と幼い頃から大人の世界を経験していて、

触れた大人の世界を「芝居ごっこ」とか「大名行列ごっこ」とか

遊びの中でマネをすることで、

子どもは大人の世界のミニチュアを経験し、

自然と大人のような立ち振る舞いを身につけていった。

 

 

 

 

 

子どもと大人の垣根がひくい

 

 

それともう1つ、私が超いい!と思ったのは

大人も子どもも一緒に本気で遊ぶ場面が多い、ということ。

 

祭りにしてもそうだし、

凧揚げ、羽根突き、独楽遊び、そういう遊びを

大人も一緒に子どもも楽しんでいた。

おじいちゃんと、お父さんと、子どもが3世代で本気の凧揚げ、

みたいな風景が見られたりとか。

 

これは本当にいいと思う!

 

大人が本気で楽しんで一緒に遊んでくれることって

今では、かなり減ってしまったんじゃないだろうか。

 

というのは、今は「子どもの遊び」と「大人の遊び」が

分離されている気がする。

 

今の子どもの遊びって、ゲームとか?

大人の遊びって、なんだろパーティーとか?

大人と子どもが一緒にゲームするとか、あんまりないもんね。

でもって、大人が出かけるときは子ども預けて・・・ってこと多いものね。

 

よくある光景は

親が「もうゲームするのは終わり!そろそろ勉強しなさい」

子ども「やだーもうちょっとー」 で、怒られる、みたいな。

 

この関係性は

大人=教育する側 vs こども=教育される側

という一方的な上下関係なんだけど、

 

たまには、その関係はとっぱらって

一緒に本気で遊ぶことってすごい大事かも、と思った。

 

 

これは完全に個人的なことなんだけど、

私が思い出に残ってる「家族でやって一番楽しんだ遊び」について書きます。

 

家族4人(父・母・私・弟)でじゃんけんして、

一番負けた人から下になって4人で重なり合う、

っていう単純でよくわからない遊びでした。

(誰が考案したのか・・・たぶん私だな、)

 

一番下の人は「つぶれるー」とか叫んで

4人でキャッキャキャッキャ笑ってたのをよく覚えてて、

普段はあまり仲良くなかった父と母も一緒に笑って、

母は「お父さんの上になるの嫌だー」とか本音言っちゃったりして、

そんなん普段だったら怒る父もただ笑っていて、

そんな楽しい時間だったな。

 

あ、ちょっと泣きそうになってきた。

話を戻そう。

 

 

大人が本当に本気になって、

子どもと大人という垣根(つまり保護者という立場)を越えて

一緒になって遊ぶことって、うん、やっぱすごい大事。

 

その瞬間、親と子どもという垣根は取り払われているんじゃないか。

そして、人間同士の信頼感がうまれるんじゃないか。

 

どうでしょう。

 

江戸時代って、子どもと大人の境界線が

今と違っていたように思う。

垣根が低かったというか、人間同士として尊重しあっていたというか。

そんな感じ、いいな。

 

 

 

 

 

そもそも子どもって何だろう、大人って何だろうとか

 

 

最近、思うんですよね。

子どもって何だ?大人って何だ?って。

 

だって私、超子どもだなとか思うしね。

「これしたい!」とか、そういう発想はいつまでたっても子どものノリだし。

 

34がこんなに子どもだと思わなかったって、

ほとんどの友人もそんな風に言ってるし、これ60とか80になっても言ってそう。

 

 

 

こんな記事を最近読みました。

 

nedwlt.exblog.jp

 

 

この記事に

「大人とは、萎縮した子どもであるって書かれていました。

確かに、今の時代で「大人になる」ことって、

ただの萎縮した子どもになることなのかも・・・と思いました。

 

中身は子どものまま、

社会とか世間とか常識とかいう見えないルールで自分を縛っていって、

子どもの頃には全開だった生命のエネルギーを、

封じ込めて萎縮させていってるだけなのかもって。

 

私が最近思うのは、

大人になるってことは「キャパを広げる」ことだって思う。

 

できないことができるようになったり、

理解できなかった人の気持ちを理解できるようになったり、

許し受け入れる器が広がって、

より多くの人を幸せにできるキャパを広げるということが

私にとっての「大人になること」かな。

 

でも、本質的には

そんなに子どもと大人ってそんな変わんないんじゃないかなって思っていて

例えば、仕事でも遊びでも「これやりたーい!」って思うのは

利益がどうとかビジネス的にとかそういう理由じゃなく

「ただやりたいから!」っていう、子どものときと同じ理由だったりする。

 

で、変な現代のオトナの感覚でその「やりたい!」を封じ込めてしまわずに

子どものときみたいに、やりたかったらやっていきたい。

 

そういう意味では私は子どものまま、

キャパを広げて、変な意味での「大人になる」んじゃなくて

「大きな子ども」でいきたいなって思う。

 

と、ちょっと個人的な話になったが

だから、この大人と子どもの垣根が低い江戸時代の感覚というのは

私の感覚にとてもフィットして、素敵だな!と思う。

 

 

 

 

 

教育についてちょっと考えてみる

 

 

ちょっと、です。

長くなりすぎないようにがんばります。

 

まず、江戸時代の子育てについてもっかいまとめます。

 

● とにかく大人は子どもを溺愛していた

● 子どもは子ども同士の世界で、大人を煩わせずに遊んでいた

● 子どもは大人の世界に小さな頃から慣れ親しんでいた

● 子どもも大人も一緒に本気で遊んでいた

 

で、その結果

とても自由で幸福で、礼儀正しく、

いざというときには大人顔負けの威厳ある対応ができる

子どもが育った、ということである。

 

その子どもの様子は本当にホントに愛らしかったらしく

ある欧米人は

「私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。

しかし日本の子どもたちに魅了されない西洋人はいない」

と書いたほど、訪れる人々をメロメロにしたらしい。

 

 

で、以下は、私の考えです。

 

 

 

星一徹てきな、厳しい躾は必要か?

 

何か粗相したら怒られる、失礼な振る舞いをしたら罰を受ける、

というような厳しいしつけ方は、個人的にしたくない。

(もちろん時には愛のムチが必要なときもあるが、、)

 

あくまで私の場合。両親は超厳しくはなかったけれど、

父がよく「頭グリグリ」してくる人で、これ超痛かったー。

こういうことされると、

「恐怖」「不安」から行動するようになってしまう。

 

「失敗したら怒られる」「うまくやらなきゃ」

「大人が気分を害さないように行動しなきゃ」

「失敗した、どうしよう怒られる、隠さないと」みたいな。

 

結果、(他の要因もあったとは思うが)

私は大人に褒められるような行動をとるようになり、

自分自身がどうしたいのか、という自分のきもちが

わからず、自己肯定感の少ない子どもに育ってしまった。

 

江戸時代のように、手放しでかわいがるように育てられたら

伸び伸びと、自分の感情を表現することができ、

私のように大人の目を気にして行動を萎縮することは少ない。

自己肯定感とか感情の豊かさを育むことができる、と思う。

 

本の中にこんな記述があって、素敵だなと思った。

 

「彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、過ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」

 

嬉しいことも悲しいことも、私は両親には言わずに育った。

嬉しいことを報告すると「そんなこと」とかバカにされるのが嫌だったし、

悲しいことを報告しなかったのは心配をかけたくなかったから。

 

でも、すべて包み隠さず言えたらどんなによかっただろう、と思う。

 

 

☆ 同じ人間として接すること

 

親は何でも知っていて、子どもは何も知らない弱い存在で、

何でも手とり足とり教えなきゃ、みたいな教育の仕方はしたくない。

子どもはけっこう分かってるな、と思う。

 

一方的な上下関係ではなく

時には対等な仲間のような存在として、

人として尊重して接したいなと思う。

 

んーうまく言えないけど。。

子どもがしたい!と言ったことを「世間しらずで甘い」と抑えたりとか

苦手なものを「大人になったら分かるから」とかいって無理矢理させたりとか、

はしたくないなあ。

 

 

☆ 子どもが親に望むこと

 

長くなりそうなので、あと一言だけ!

 

結局「子どもが親に望むこと」って

「親が幸せに暮らしていること」だと思う。

 

父と母が不和で、

母がいつも父の振る舞いに耐えて愚痴をいうのを聞いて育った私は

母に対して「本当に好きな人見つけて幸せになってほしい」

別に離婚してもいいや、くらいのことを思っていた。

 

結局、親が子どもに望むことも、子どもが親に望むことも

「幸せに楽しく生きてほしい」が一番じゃないかと思っている。

 

そして、一番の子育ては

楽しんで生きている自分の姿を見せることで、

些細なノウハウはけっこうどうでもいいんじゃないかな

というのが私の結論です。

 

 

 

わ、江戸とずれましたが・・・!

 

とにかく

江戸時代の、大人と子どもの関係が好きだなと思います。

 

子どもは「小さな大人」みたいだし、

大人は「大きな子ども」みたいだ。

 

そして、人として尊重しあう関係。

 

 

 

 

 

最後に、見つけた子ども写真いろいろのっけます。

かわいくてかわいくて・・・!

(明治とか大正時代のも含まれてると思いますが

 大体のイメージということでご勘弁を)

 

 

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(写真:TRAIN UP A CHILD IN THE WAY HE SHOULD GO, AND WHEN HE IS OLD, HE WILL PARTY ー flickers.com

 

こんな風に、子どもたちだけでちっちゃな御輿をかついで

大人の祭に参加していたらしい。

 

 

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写真:LITTLE GIRLS OF JAPAN CARRY BABIES WITH BROKEN NECKSーflickers.com

 

こんな風に、小さな子が子守りをしている風景が

よく見られたらしいです。

おんぶされてる子の首大丈夫かしら*

 

 

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(写真:THE ICE CREAM VENDOR ー flickers.com

 

道が子どもだらけな写真。

 

 

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(写真:THE LANTERN BOYS OF OLD JAPAN ー flickers.com

 

小さい頃から仕事の手伝いをしていた子どもたち。

 

 

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(写真:A GIRLS LIFE IN OLD JAPAN ー flickers.com) 

 

すごい可愛い・・・!!

着物のセンスとか。特に左端のコがタイプです。

欧米人は、子どもが大人と同じ格好をしているのに驚いたらしいです。

服装に関しても、大人と子どもの垣根が低かったんですね。

 

 

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(写真:A DEAD SUNFISH ON THE SEA SHORE of OLD JAPAN ー flicker.com

 

いやコレは・・・子どもがどうとかいうより、

マ、マンボウ

 

 

f:id:edokurashi:20150604232007j:plain(写真:COSPLAY IN OLD JAPAN ー flicker.com

 

いやコレも、よくわかんないんだけど。。

あまりに可愛かったので!

 

 

ということで写真終了です。

 

 

 

 

 

 

 

子育てかー。

いつになったらするんだろうなぁ。

 

(30過ぎたらとっくに子ども産んでるだろうなとか

 思ってたな。。。)

 

 

 

 

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