主に江戸について

主に江戸後期の、主に庶民の暮らしを調べながら書いてます。堅苦しくなくポップ(?)に☆読んだ本のメモが中心。

混浴と裸がふつうだった、江戸時代の性意識について

今日は、江戸時代のあっけらかんとした性についての話。

 

引き続き『逝きし日の面影』第8章より。

 

あのね、

この章読みたくてこの本買ったっていっても過言じゃないんですよ、

これ書きたくてブログ始めたっていっても過言じゃないんですよ、

 

江戸時代のオープンな性意識、すごく興味深い。

 

 

だって、現代の性意識っておかしくないですか?

性行為とかふつうのことなのに、

淫らなことって情報を制限したり、

かえって聖なる行為にしていたりだとかさ。。

 

 

なんかね、考えてみたいわけですよ。

江戸のオープンな性意識を通して、

現代ではどうあるといいのかなってことを。

 

 

 

 

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*今日の浮世絵は「浴場の女」(樋口五葉、1915)

 

 

 

 

 

混浴は普通だったし、裸は恥ずかしいものじゃなかった

 

 

江戸時代は、混浴は普通だったらしい。

 

また、風呂だけじゃなくって

生活のいろんな場面で裸はよく見られたらしい。

 

例えば、前に書いたように

江戸時代の家ってオープンで外からも見える造りだったのですが

家も心もオープン!だった江戸の人びと 

 

外から見える場所で

上半身裸になって化粧したりとか、

子どもにおっぱいあげたりとか、

裸で行水したりとか、

普通の光景だったということです。

 

あとは、作業するときなど(農作業とか)

男性はふんどし、というのはもちろん、

女性が腰まで肌脱ぎにして作業していたりもしたらしい。

 

ちょっと節操ないなと思う行動では、

通りがかる欧米人を見ようとして、

裸で風呂屋から道ばたに飛び出してくる人々も多かったということ。。

 

 

現代の感覚からすると

「すご・・・!!!」

という光景ですが、

 

当時は、女性も

裸であること=恥ずかしいこと、ではなかったみたいです。

 

行水している女性が、道行く人に普通に「おはよう」と話かけたりとか、

海からあがって全裸の女性が、知人の男性と普通に会話したりとか、

そういう場面が何度も目撃されていたようで。

 

つまり、当時の感覚からすると、

「風呂に入るため」とか「作業に衣服が邪魔だから」とか

生活に必要な理由で肌を露出することは

恥ずかしいことでも礼儀に背くことでもなんでもなく、

 

逆に、たとえちょっとであっても

見せつけるために体を露出するのは、不謹慎だったらしい。

 

だから、自分たちが自然な理由で裸になることよりも

欧米人が体の線を強調するようなドレスを着ることのほうが

よほどいやらしい・・・という風にうつったようです。

 

 

この時代を訪れたその欧米人は、

現代の私たちと同じようにこの混浴と裸の習慣は衝撃的で、

また、嫌悪感を感じるものだったらしく・・・

 

日本のように男女両性が、これほど卑猥な方法で一緒に生活する国は、世界中どこにもない

 

 とか

 

日本人は世界で最もみだらな人種のひとつだ

 

 とか、そういう記述が残されている。

 

 

でも本当にこれって淫らなのかな?

 

 

 

 

 

小さい頃から性に親しんでいた 

 

 

江戸時代には、春画や春本が流行していた。

葛飾北斎とか名だたる浮世絵師はほぼみんな春画を描いていたし、

浮世絵の最高峰の技術も春画に使われていたとのことだったらしく、

それくらい一般的で、女性も子どもも見ていたものだった。

 

春画に関しては興味あるので、また深く調べてみたいなー。

 

あ、そういえば9月から春画展が開催されますね!

春画は海外での方が評価が高く、おカタイ日本での開催は大変だったみたい。

行きたいなー。

 

www.eiseibunko.com

 

 

  

あと、春画だけじゃなく

卑猥な品物が玩具として堂々と売られていて

それを父が娘に買っていったりとか、そういうことも普通だったようです。

 

本や絵だけじゃなく、磁器に描かれたり、

漆器に浮き彫りにされたり、象牙細工に彫り込まれたり・・・

なんだかあらゆるところに登場していたらしい。

すごいな江戸。

 

これは賛否両論あると思うが、

子どもの頃から当たり前のこととして性行為について知ることができる

というのは私はいいことだと思う。

 

だって、知らなさすぎて

ほぼ知識なしのぶっつけ本番って大変じゃないですか。

「うわ、こんなんだったのか・・・」とか。(すみません!)

 

もしくは、得られる知識といえば

AVもエロ本も男性目線に偏っていて

それで女性は苦労しているんですよ!(ほんと!)

 

・・・と、いろいろ言いたいけどこの話はおいといて。

 

 

 

 

 

性もオープンな笑いの対象だった

 

 

1つ掲載されていたエピソードを紹介する。

ペリー艦隊の話。

 

その測量に従事しているボートに対して、

沿岸に集まった住民が上陸するように手招きし、

「まごうかたない身振りを」して、船員を女たちと交わらせようと誘い、

しかも、そこにいた一人の女は

着物をまくしあげて身体を見せつけるようなことまでした、

 

という話が紹介されている。

 

こんなオープンなあっけらかんとした形で、

酒の席でも、日常の中でも、

性に対する会話がなされていたようである。

 

本質的で、あっけらかんとした、明るい性意識。

本当にオープンだなぁ。

 

 

 

  

 

江戸時代と現代の性意識に対する考察

 

 

どう思いますか?

淫らだと思いますか?

 

私は、江戸時代の様子はとても「自然」だと思った。

動物的とも言えるが、人間的だと思う。

 

 

だいたい、現代の性意識ってどうなのよ。

ふつうのことなのに、

淫らなものとして異常に隠したりとか・・・

逆に神聖なものとして美化したりとか・・・

 

で、それによって情報が偏りすぎていて

いろいろ不具合あると思うんです。

(ちょっと前述しましたが。)

 

 

だいたい、隠すから見たくなるんであって

チラリズムが興奮するんであって

 

江戸時代のように、こうも開放的だと

淫らとかエロチックという雰囲気とは違う感じがします。

 

ただ、混浴とかたまには

そういうコトに及ぶ場合もあったみたいですけどね。

でも私はそれも含めて、自然だなぁと思ったりします。

 

そういえば、これは聞いた話ですが

「子宝の湯」って、温泉の効能で妊娠しやすくなるってことではなくて、

昔は、妊娠できない女性が

三助(背中を流したりしてくれる人)から子種をもらうところ・・・

だったりもしたらしいです。

 

興味深い。。

 

 

それと、これはどこかの観光地で(場所忘れてしまいました><)

昔の炭鉱の様子を見たときに、

男性がふんどし一丁で石炭を掘って、上半身裸の女性がそれを運んで、

あと男性も女性も同じ風呂に入っていた、っていう写真を見た覚えがあるんです。

 

そこには淫らな雰囲気は一切無くて

ただ生と性があるだけだな、って感じでした。

 

たぶん、明治か大正時代の写真。

 

 

あと、

性が笑いの対象になるって、すごい分かる気がする。

 

だって、滑稽じゃないですか。

理性ふっとぶし、変な格好であれやこれやするし。

 

「性行為は神聖で崇高な愛の行為だ」的な面も

もちろんあるし、その通りだと思うんですが、

 

崇高な面も、滑稽で淫猥な面も、そのまま楽しみたいなと

思うのがわたし個人的な考えです。

 

 

江戸時代の態度は、

欲望も滑稽さもそのまま受け止めて笑いの対象にしているのが

大らかで自然体だなぁ、と思う。

 

 

 

 

江戸時代の性意識を、すべて肯定するわけではないですが

とても興味深いなと思います。

 

少なくとも、性が当たり前のこととして

おおらかなユーモアとともに日常の中に含まれていたというのは、

いいなぁ〜なんて思ったりします。

 

 

ここまでとはいわないまでも、

現代の性意識はちょっと変わってほしいですね。

 

私は、性が卑猥なものみたいになってるのが嫌なので

ふだん努めて「ふつうに」話すようにしています。

 

最近、けっこうオープンに話す女性が

増えてきているので

よいことだ!と思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混浴してみたいなーとか思ってみたり。

けっこう普通だと思うんだよなー。。

 

 

 

 

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