主に江戸について

主に江戸後期の、主に庶民の暮らしを調べながら書いてます。堅苦しくなくポップ(?)に☆読んだ本のメモが中心。

家も心もオープン!だった江戸の人びと = 『逝きし世の面影』第3章より =

今日も『逝きし世の面影』より。

 

江戸の庶民は

暮らしも心もとても開放的だった、というお話。

 

日本人は閉鎖的な性格だっていう思い込みを

ふっとばしていただきたいと思います。

 

オープン!

 

 

 

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※画像は「下諏訪」(歌川広重、1835 - 1839年)

本文と割と関係あります

 

 

 

 

オープンだった暮らし

 

江戸の暮らしは、とにかくオープンだったらしい。

というのは「中が丸見え」だったということ。

 

家のつくり自体が超シンプルだった、

というのは前の記事でも触れましたが

 

家は、通りと中庭の方向に開け放たれていて

通りから家の中、つまり暮らしぶりが丸見えだった。

 

しかも、人々は何も隠すことなく、

例えば夫婦げんかを人の目をきにせずしていたり、

恥ずかしがらずに上半身ほぼ裸になって化粧している女性がいたり、

というのは当たり前の光景だったらしい。

 

だから、近くに住んでいる人たちがどんな暮らしをしているのか

というのは近隣にすむ人々はわかっていて、

 

そして、

家屋が開放されているだけではなく、

庶民の生活自体が通路の上や井戸・洗い場のまわりで営まれた

ということなので、

 

かなりあけっぴろげで、

こうなってはもう、家の中だけではなく

「地域」で暮らしていた、と言った方が正しい気がする。

 

 

 

 

・・・というか常にオープンだった家

 

家は基本的に、常にオープン!だったらしい。

というのは、家に鍵をかけなかった、ということ。

 

さすがに蔵には鍵をかけたが、

壊れそうなほど華奢だったりしたらしい。

 

そして、

鍵をかけないにも関わらず、

宿で小銭も品物も一度も盗まれたことがない

という欧米人のエピソードが数々残っている。

 

その中で、とくに印象に残った話を紹介します。

 

モースという人物が島の旅館に泊まった際、

しばらく留守にするので「時計と金をあずかっていてほしい」とたのんだ。

そしたら、女中はそれを盆に載せただけだった。

モースは心配になり、宿の主人に大丈夫かと尋ねたが

「絶対に安全で、金庫などない」という答え。

そして、一週間後この宿に帰ってみると

蓋のない盆の上に、1セントも減ることなくそのまま残されていた

 

このエピソードは

江戸時代がいかに安全だったかということを

よく表していると思う。

 

女性が安心して1人旅できる国だった、

ということもよく聞くし。

 

 

これは当時の欧米人だけでなく、

現代の日本人も驚愕するところではあるが、

でも、わたしの田舎の祖母の家は今でも鍵かけないこと多いし

なんか分かる気はする。

 

・・・気はする、にしても

この、宿の主人の「絶対に安全です」

と言い切る100%の信頼はすごいと思う。

 

 

この信頼はどこからくるのか・・・

 

とても興味深いです。

 

 

 

 

 

心も開放的だった

 

そして、江戸庶民は心もオープンだった、ということ!

 

もちろん当時は鎖国していたわけで、

欧米人を見るのは稀だったわけであるが

 

だからといって「異人さん怖い・・・」ではなく、

もう、好奇心まるだしで追いかけまわして

しつこいくらいだったらしい。

 

それに最初は閉口していた欧米人たちも、

人のよい笑い、無邪気さに悪意のないことが分かり

割と好意的に対応していたということです。

 

また、この本の中には

ある欧米人が、民家で行われている宴会に乱入(!)したところ

最初は驚いたが、歓待してもてなしてくれた

というエピソードもあり、

 

無邪気でオープン、好奇心旺盛だった

江戸庶民の性格を想像することができる。

 

この背景には、

「人間はみな同じだ」という共感があった、

とこの本には描かれている。

 

 

「みな同じだ」という共感!

 

きっと、他の人びとを「敵」ではなく「味方」「仲間」

と信じきっていた、ということ。

 

だから、先に触れた宿の主人の

「絶対安全です」という100%の信頼が

あったのだと思う。

 

にしてもすごいなぁ。

 

 

 

 

喧嘩と笑いについて

 

そして、欧米人に対して心がオープンだっただけでなく

もちろん日本人同士でもオープンだったということであり、

 

それは、想像するに

素直に本音を伝え合える関係だったのではないか

と思っている。

 

そして、この関係を可能にしたのが

「喧嘩」と「笑い」じゃないかと思う。

 

この章で、私がとても好きな2つのエピソードがある。

 

 

1つは、船頭たちの喧嘩の話。

 

隅田川の両岸に住む人足や船頭たちは柄がわるく、よく喧嘩をしていた。

しかし、その争いはなんと橋の上の綱引きで解決されたらしい!

そして、綱引きが終わると(つまり一方or両方が投げ出される)

叫び声や混乱がおきるとともに、人々は気ちがいのように爆笑する。

仕舞には、相手方を橋の上まで向かえに行き、

付近の茶屋に入って行き、そこで酒盛りを始め、

痛飲して仲直りしてしまう。

 

 

もう1つは、人力車夫の話。

 

何人かの車夫が待機しているところで、客らしい人物が近づいてくると

その客を誰が乗せるのかを争って決めるのではなく、

長さのちがう紐の束を用いてくじを引く。

お目当の人物が初めから乗る気などなくて通り過ぎてしまうと、

当りくじを引いていた気の毒な車夫に向って笑い声が起こる。

その当人も嬉しそうに笑っているのだ。

 

 

 

私はこの2つのエピソードがとても好きだ。

 

争いを綱引きで決めるって!

客とりをくじ引きで決めるって!

 

遊んでんのか!

 

そして、勝った方も負けた方も

最後は笑って仲良くなるのである。

  

やっぱり、遊んでんのか!(笑)

 

 

なんというか、これ以上の

心の開放感ってないと思う。

 

「街頭での喧嘩、口論、暴力は存在しない」

と書いている人もいるくらいで、

江戸の華として伝えられる喧嘩にしても、

暴力は二の次で、啖呵の華麗さと切れ味が競われたらしいです。

 

うん、やっぱり、遊んでたんですね(笑)

 

仕事も喧嘩も遊んでたんだと思う。

さすが「大きな子ども」だな・・・

 

江戸の人々は"大きな子ども"だった =『逝きし世の面影』第2章より=

 

 

この、どんな出来事も笑いで包んでしまえる、

という江戸庶民の気質がたまらなく好きです。

 

以前書いたこの記事にも通じる。

 

「自虐的ユーモア」は愛すべき日本人の特質である =『逝きし世の面影』第1章より= 

 

 

 

 

オープンな暮らしを可能にした性質

 

*念のため付け加えておくと、この章は「親和と礼節」というタイトルで

日本人の(時には滑稽なほどの)礼儀正しさ、ということにも

触れられていますが、ここでは割愛します。

 

 

で、このような

暮らしも心もオープンな性質はどこからくるのだろう。

 

それに関して、

本の中に「おぉ!」と感動した表現があったので

そのまま引用します。

 

いくつもあるんですが、全部そのまま。

 

 

礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約

 

気持ちよく過ごすための共同謀議

 

生きていることをあらゆる者にとって

できるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意

 

人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。当時の人びとに幸福と満足の表情が表れていたのは、故なきことではなかったのである。

 

 

とても印象深い言葉だと思う。

 

江戸時代では「みんなが楽しく過ごすための暗黙のルール」

みたいなものがあった、

 

いや、それは【ルール=それに縛られる規則】という性質じゃなくて

もっと根源的で、自由で、それに縛られるのではなく

自らが楽しんで無意識的にそう行動していた、というような・・・

 

うーん表現が難しいけれど、そういうことだと思う。

 

 

 

現代において、日本人の協調性は

「世間体を気にする」

「人の目を気にする」

「自分の意見が言えない」

日和見

と超ネガティブな意味合いで形容されているけれど、

 

それは、必ずしも悪い性質ではなく

少なくとも江戸時代には、

人々がお互いに幸せにするために機能していた、

 

ということである。

 

 

そして、この時代においては

「自分の意見が言えない」ということはなく

笑いと遊びを交えて、礼節を保ちながら本音を伝える術も

もっていたのではないか、と思う。

 

 

あー、やっぱりいいですね江戸。

 

私も何かあったときは綱引きで解決したいです。(!) 

 

 

 

 

どのような環境がこの日本人の性質を形づくったのか

ということに対しては、

また次回考えてみようと思います。

 

 

 

 

江戸庶民のように、粋に&遊んで暮らしたいなぁと思う。

 

 

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