主に江戸について

主に江戸後期の、主に庶民の暮らしを調べながら書いてます。堅苦しくなくポップ(?)に☆読んだ本のメモが中心。

動物を仲間として扱っていた江戸の人たちと、生類憐れみの令について少し

今日は、動物と人間の関係についての話。

 

引き続き『逝きし日の面影』(渡辺京二著)より。

 

 

ついでに、前々から不思議に思っていた「生類憐れみの令」についても

ちょこっと調べてみました。

 

 

 

 

 

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*今日の浮世絵は「浦和」(歌川広重、1835 - 1839)
 本文とはちょっとだけ関係あります

 

 

 

 

 

犬について

 

江戸には野犬が多かったらしいです。

飼い主がいなくて町内で養われているような犬がはびこっていて、

道に寝そべっていたりとか、傲然とした態度をとっていた・・・らしい。

 

人力車は、子どもたちが道で遊んでいたらそれを避けるのと同じように、

犬を避けて走っていたということで、

犬は「共同体の下級メンバー」的に扱われていた。

 

 

 

 

 

馬について

 

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日本の馬は、欧米人たちの間では「癖が悪い」「始末に負えない」

ということで有名だったらしい。

乗り手を振り落としたりとか、人を嚙んだり蹴ったりだとか、

とにかく獰猛だったらしい。

 

というのは、馬が調教されていなかったからだ。

 

理由の1つとしては、

調教する必要があまりなかったということがある。

 

馬に騎乗するのは武士くらいなものだったし、

(庶民は写真のように馬に乗らずひいていたし、)

その武士であっても、江戸後期においては

馬丁に口綱をひかせて乗っかっていただけ、のことが多かったようだ。

 

だから、馬は口綱をひいた方向について来るようにさえ

教えておけば、あとは調教しなくてよかったということである。

 

 

そして最大の理由としては、

人間は馬を自分たちの仲間として扱っていたから。

 

馬を鞭打ったり蹴ったりして調教することはなかったという。

馬が望まないことを、自分たちの利益のために強制することはしなかった。

 

ちなみに、上の写真の馬は

蹄鉄じゃなくって「わらじ」を履いてます。

なんか可愛い・・・

 

馬を去勢するとか、蹄鉄を鋲で打ってとめるとか、

そういう、人間だったらうひゃーってなることを

馬に対してする、っていう発想にはならなかったんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

牛について

 

 

あとは、こんな話が紹介されている。

 

日本に来た英国人が、牛を買い求めたところ

それが食用だとしった売り主は、

「牛が自然死するまで待つならいいが、屠殺するなら売らない」

と言って拒んだ。

それまで家族の一員として働いていた牛が殺される

というのが忍びなかった、ということである。

 

 

 

 

人間と動物を仲間として扱っていた 

 

 

と、このような江戸時代の人間と動物の関係をみていると

人々は、動物を仲間のような存在として扱っていた

みたい。

 

この著書内には、こんな風に書かれている。

 

徳川期の日本人にとっても、動物はたしかに分別のない畜生だった。

しかし同時に、彼らは自分たち人間をそれほど崇高で立派なものとは

思っていなかった。

 

人間は獣よりたしかに上の存在だろうけれど、

キリスト教的秩序感の場合のように、

それと質的に断絶してはいなかった。

 

人間と動物は「生きとし生けるものの仲間」だった。

 

キリスト教的価値観のように、

人間のみを崇高な存在とは考えていなかった。。

 

 

江戸時代は、人々がみんなで楽しく暮らすための

暗黙のルール(みたいなもの)があった、てことを何回か書いてますが

動物に対しても、そうだったんですね。

 

家畜にも過度な重労働はさせなかったらしいです。

 

 

 

 

 

生類憐れみの令について

 

 

動物関連で、前々から疑問に思っていた「生類憐れみの令」について

ちょっと調べてみました。

 

生類憐れみの令って、

「お犬様!」

「動物を傷つけたりしたら刑罰!」

「わけわかんない悪法!」

って思っていたけど、

ほんとにこんな漫画みたいな法令あったのかな、

って疑問だったもので。

 

調べたっていてもググッただけですが、

けっこう誤解が多かったり、見直されたりもしてるみたいです。

 

箇条書きで紹介。

 

○ 実際に処罰された人はかなり少なかった。

 数年に1人程度、武士階級に対して厳罰が下されただけ。

 地方においてはほとんど無視されていたところもあったくらい。

 

○ 1つの法令ではなく、いくつか発布された法令の総称。

 将軍御成りの道筋に犬猫が出歩いてもお構いなしの定め(貞享2年7月=1685)

 馬の筋をのばすことの禁止(貞享2年9月)

 将軍の台所での鳥獣魚介類の禁止(貞享2年11月)など。

 このように法令が数多作られたのは、

 法令をなきものにしようとする重臣と綱吉との権力闘争であったという説も。

 

○ 病人や牛馬などを山野に捨てたりする悪習を改善するのが本来の目的だった。

 本筋は「捨て子保護政策」で、動物保護はその“おまけ”、

 「人間の子供、老人、病人などの保護」の方が全国的にはより重要な扱いだった。

 犬関連の法令が増えたのは、江戸などの都市部で、

 野犬や飼い犬に関する問題が多かったため。

 

 

以上、ググってでてきた記事から適当にコピペしただけなので

合ってたり合ってなかったりすると思います。

 

あと、面白いなと思ったのが

徳川綱吉の評価についてがかなり変わってきているということ。

 

 

綱吉の時代は戦国時代の気風が色濃く残っていたし、

また、病人や牛馬などを山野に捨てるという風習もあった。

それを綱吉は哀れんでこの法令を出したのであり、

 

上に書いてきたような動物を仲間として慈しむ心証も

もしかしたら「生類憐れみの令」の影響によって培われたところも

あるのかもしれない。

 

そう思うと、綱吉は名君だった

というような見方があるみたいです。

 

うん、そうとも言えるかも。

「バカな犬将軍」っていう薄っぺらい人物像よりは

こっちの方が個人的には納得できるなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は前にも書いたように、

歴史上のただひとつの真実なんてものは知るの無理だし

勝手に解釈して楽しめばいい、というスタンスですが

 

時代劇とかに出てきたままを鵜呑みにしたり

漫画のキャラみたいな薄っぺらいイメージをそのまま信じる

ってことはしたくないなぁ、

 

と思います。

 

 

 

 

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